越生通信 2017年11月

2017年11月20日
投稿先 近況報告

■近況報告

10月29日(日)Jazz Church Concertは、心配される台風22号の影響で、風雨の強い中、85名の皆さんが集い、みどり幼稚園ホールは、生のジャズ演奏と手拍子のリズムに包まれ、体も自然にリズムに乗って、今にも踊り出しそうな人の姿も見られました。ボーカルの飯田さつきさんの歌声は、心に響き、又、ピアニストの森下滋さんのピアノの調べは、流れるような音の世界へ吸い込まれるようでした。特に全身を使っての弾き方には迫力を感じました。そして、サックスとフルートをSteve Sacks さんのサックスの音色で年季の入ったサックスを通して流れる音に酔いしれ、又、フルートの調べに心も体もリフレッシュしました。特に三人の息の合った演奏は、とても素晴らしかった。

賛美歌「いつくしみ深き」を三人のジャズの調べにのって聴くと、賛美歌のイメージからかけ離れて素敵なメロデーが聞こえることは、なんとも不思議な感じである。それこそこんな風に教会で演奏したら、きっと若者の音楽好きな方々が集まって来るのではと思った次第である。

証タイムでは、三人のトークと証しを順番に聞くことができ、紆余曲折していた者が、神を知り新しく変えられる者になったと言うお話に、皆さん耳を傾けておりました。

神さまを知り、神さまの賜物を頂いた三人の皆さんの生活は、今は「よきおとずれ」を伝える者となり、こうして演奏を通して証されていく喜びを、私たちに伝えてくれたとても素晴らしいConcertに感謝!

Steve Sacks さん 飯田さつきさん 森下滋さん & 演奏者を囲んで記念写真

 


■教会の思いで

(T.Y)

改札を出て帰宅を急ぐ人々が、バスロータリーへと向かい降りて行く、その階段の手前に私たちは並び歌っていた。1982年、師走の今宵の冷気に包まれた、東武伊勢崎線の西新井駅。日本基督教団・西新井教会と在日大韓キリス教・西新井教会、合同のクリスマスのキャロリングだった。まだ教会員ではなかったが、その群れの中で私も一緒に歌っていた。日本語と韓国語でキャロルが歌われるその前で、二、三人がトラクト配布していた。トラクトのデザイン・印刷は私が請け負った。印刷業に携わっていた関係で、友人の通う教会に呼ばれて、気がつけば、韓国・朝鮮の人たちと日本人との交流の中に引き込まれていた。その中で二千年前のクリスマスの出来事と、東アジアの歴史とを学びながら、平和の意味を考えさせられた。誰もが一人の人間となり、一人ひとりが出会い互いに隣人となる、そこに平和が築かれるのではないか。今、ミサイルがどうこうと、緊張が煽られているが、どこの国にも、たった一つの命を得て、そこに暮らす小さな人々があることを想う。二千年前のクリスマスの背景にも、その時代の人々の暮らしがあったことを想像する、私たちが聖書を開き、共にその言葉を聞くこと…それは…御霊に導かれ、互いに創造力を生みながら、隣人関係を築くことにつながるだろう。そうしたことが出来事として生起する場が教会なのかもしれない。

三十年前、二つの教会が練習を重ねて、歌声を西新井駅構内に響かせキャロリングは、家路を急ぐ人たちの心に届き、平和の願いを生起させるものとなっていただろうか。それはわからない。けれども、可視化に云えることがある。

あの日の体験があって、今、教会の中に私がいるということだ。

 


■コラム

 

―何になりたいではなく―

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく仕えるためである」(マタイ20・28)。

 皆さんは子どもの時、「大人になったら、何になりたいですか」という言うことを、聞かれたことがあることでしょう。

私も、そのような質問をされた時、子どもの時は、大きな夢を沢山持っていたので、そのつど幾つかの答えを出していたと思います。

しかし、社会人となって大切なことは、何になるかではありません。その人間が社会に何をなすかなのです。こんなことは、世の大人たちは理屈では知っていながら、つい自分たちの観念や習慣に惑わされて、「なる」ことのほうにアクセントをおいてしまうのではないかと思います。確かに小さい時には、ただ漠然とした夢程度しか持っていないでしょうから、「何になりたい」の方が自然かもしれません。

ある有名な会社の社長さんは、こう言っています。「世の中は、次第に、どこの大学を出たかでないとかいうことが問題ではなく、その人がどんな人であるか、何が出来る人であるかが問題になって来る」と思います。人間の価値は学校をくぐったかくぐらないかと言うことではなく、その人が何を心の中に持っているかできまるのです。

キリストはこの世では名誉も地位も財産もなく、大工の息子としてお育ちになられましたが、彼は歴史を二分するほどの大きな感化を人生に与えるほどの大きな業をなさいました。それは彼が人々に仕えることを人生のモットーとした愛の人であったからです。私たちもキリストの生き方を学び、前を向って歩んでいきましょう。