越生通信 2018年1月

2018年1月24日
投稿先 近況報告

■ 近況報告 2018年新しい年を迎えました。今年は戌年、寒さに負けず「犬は喜び庭かけまわり…」と歌われているように、私たちも元気に前を向きしっかりとした目標を立てて、この一年を過ごして参りましょう。
牧羊犬は、羊の群れを元気に走り回り主人が支持するところへと誘導しますが、羊の目は、なんと人間と違い、320度周りを見ることができるということは、びっくりです。私たちも牧羊犬が、元気に走り回る姿を見て、この一年主イエス・キリストに仕えてまいりましょう。

◯12月24日(日)のクリスマス礼拝後、愛餐会は、手作りの温かいシチュー、パンとサラダ、手作りケーキなどをたらふく食べた後で、人形劇「イエスさまのお誕生」を皆さんで、好きな配役になり、舞台に立って演じました。ほとんどぶっつけ本番に演ずることになったので、色々なハプニングがありましたが、演じている皆さんは童心に返り、演じている姿は、真剣そのもの。舞台裏は、中腰で行わなければいけないので、終わった後は、皆さん筋肉痛になってしまったようです。それでも皆さんの笑顔はとても素敵でしたよ!

愛餐会の風景
人形劇を演じているところ

 

 

 

 

 

 

■ 教会の思いで
E.S
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。(マルコ10・13~16)
私が越生教会に足を運ぶようになった頃、長女はまだ3歳でした。娘を連れて礼拝に参列するのですが、娘は席をたったり座ったり、話し始めたりとじっとしていられません。わたしが「しー。」と口の前に人差し指をたてて怖い顔で言うと、いっときは静かになりますが、そのうち飽きてしまい、最後には園庭に出て行って遊び始めてしまいます。周囲の方々に申し訳ない気持ちでいっぱいの時、天に召された塩田兄が優しい笑顔で近づいて来られ「いやー。子どもの声が教会で聞こえるのは何よりの恵みです。」とおっしゃってくださり、肩の力がスーッとぬけたことを覚えています。また、礼拝しながら、園庭で遊ぶ娘の姿を見られるようにと、役員の方が窓の脇に椅子を置いてくださったので、落ち着いて説教を聞くこともできました。
越生教会の方々の優しさは、子育てに追われ心のゆとりをなくしていた私にとって、イエス様のみ言葉そのものであり、忘れられない思い出です。

イエスのもとへ来る子供たち

■よきサマリヤ人を通して教えられたこと

そこでイエスは言われた。「行ってあなたも同じようにしなさい。」(ルカ10章37節)

皆さんは、子どもの時、教会の日曜学校へ行かれていたことのある方は、「よきサマリヤ人」のお話を、何回か聞かれる機会があったことでしょう。このお話を聞いて思うことは、私たちもよきサマリヤ人のように、隣人愛を持って人に対して親切にしようと思ったことでしょう。このお話を振り返ってみますと、ある人が強盗に襲われ、半殺しにされて道に放って置かれました。そこを祭司やレビ人が通りかかりますが、皆よけて通るのです。そこへ一人のサマリヤの人が通りかかり、身の危険をかえりみずに倒れている人を助ける話です。

このサマリヤの人をそのような思いやり深い行動にかりたてたものは一体何でしょうか。

それは、相手の気持ちになって見るということです。つまり、このサマリヤの人は倒れている人を見たのではなく、その人の一部となり、この相手と自分を同一視する気持ちがあったのです。又、ただ通り過ぎて行った人々は、エリコの街道では、強盗が出るということがあったので、巻き添えになることを恐れ、立ち去りましたが、サマリヤの人はその恐れを押しやり、行動に移す勇気を持っていたのです。

サマリヤの人は困っている人に手をかすと言う習慣があったのだと思われます。長年の間、彼は他の人が困っているのを見たら、いつも手助けできるように心がけて来たのです。感情移入、勇気、手助けの習慣、これが積み重なって、私たちが思いやりと呼んでいるあのやさしさ、「人の苦しみを共に苦しむ」となるのです。これらを身に付けて、思いやりと言う人生を過ごそうではありませんか。