越生通信6月

2018年6月10日
投稿先 近況報告

■近況報告

5月20日(日)は、ペンテコステ礼拝を守った後で、愛餐会をみどり幼稚園園庭のびわの木の下で、昼食を囲みました。初めのうちは、木陰で気持ちよかったのですが、そのうち風が吹くと肌寒くなり、昼食を食べ終わってからは、椅子を移動して、太陽を求め懇談の一時となりました。周りの山々から小鳥たちのさえずりが聞こえて来て、バックグランド ミュージックもあり、皆さんの食も進みました。感謝です!

愛餐会の食卓

  5月27日(日)主日礼拝に、聖望学園から7名の男子高校生が出席され、共に礼拝を守り賛美をすることができました。彼らは、高等学校三年生で、何回か越生の礼拝には出席されていました。越生以外に、川越や入間市等からも来られていました。学校の課題で出席するだけでなく、この中から一人でも教会へ繋がる人が出ることを願っています。

 

                 越生教会の礼拝風景

6月に入り、梅雨の季節となりました。露に似合う花の代表は、紫陽花です。先日、雨の降る中で、ピンクの花の咲く大きな葉の上で、カタツムリが気持ちよさそうに、角を伸ばしてゆったりと動いているのを見て、「でんでんむし虫」の歌を口ずさんでいました。

■私に影響を与えた人

E・S

神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃げる道をも備えてくださいます。(Ⅰコリント10・13)

  物事に行き詰まってしまった時、私はいつもこの御言葉を心の中で繰り返します。それでもすぐには心が落ち着かず、あれこれと重い悩むことが多いのですが、最後は御言葉どおり、神様がちゃんと逃れる道をご用意してくださっているのだと知るのです。 聖書に語られている言葉が単なる言葉ではなく、生きてはたらく言葉である、と私がキリスト教に導かれた初めての御言葉です。「私に影響を与えた人」を思う時、この御言葉に出会わせてくれた友人の顔が思い浮かびました。その友人は、大学の同級生で、クリスチャンホームで育ち、小学校から都内のミッションスクールに通う御嬢さんでした。私が自分自身のことで悩んでいた時に、三浦綾子さんの本を貸してくれ、それをきっかけに三浦さんの小説の話をするようになり、聖書のことを解りやすく教えてくれました。お家に泊まらせていただくこともあり、美味しい手料理をごちそうになりながら、お母さんや妹さん、時にはお父様も一緒になって夜遅くまでおしゃべりをし、とても楽しい時間を過ごしました。聖書も持ったことのない私が、三浦さんの小説に出会い、その中で語られていた御言葉に救われ、今ここにいる。彼女との出会いに心から感謝します。

  

                   E・S姉の愛読書


■梅ジュースの作り方

越生町は梅の産地です。そこで私は、この時期になると梅農家へ出かけて行き、取り立ての梅を分けてもらいます。また、商品にならない梅を頂いてきて、梅ジュースやジャムを作ります。とても簡単で電気釜でできる梅ジュースをご紹介いたします。このジュースを飲んでいると夏バテしないという不思議な力を持ったジュースです。是非お試しあれ!

電気釜に梅を入れ砂糖を入れた後は、保温状態で8時間位おく。電気釜から取り出したら、梅の実と皮を分ける。

実を水洗いしへたを取る。
電気釜の中に梅を入れる。

 

 

 

 

 

 

梅の上にしろ砂糖を入れる。
梅ジュースと梅ジャム

 

 

 

 

 

 


人はなぜたやすく変わらないのか

 「柔らかな応答は憤りを静め、傷つける言葉は怒りをあおる」(箴言15・1)。

  人との出会いの中で、「あの人が、このところを変えてくれると、もう少しスムースになるのに」と思うことが起こります。私たちは絶対に変わるまいと心に決めていることではありません。ただ、まず相手が心を入れかえてくれたら、自分だって心を入れ替えてもよいと思っているのです。相手の変わり具合を見て、自分の態度を決めていこうと考えるのです。私だけが悪いのではないのに、なんで自分を変えなければならないんだという考え方です。この考え方では人はたやすく変わることはできないのではないでしょうか。「変われ」と言おうと「変わって欲しい」と願おうと、それは「お前が悪い」と言っていることですから、相手をせめることになります。人を変えようとするには、自分を正しいとし、相手を間違っていると決めつけることです。それは、自分を勝者とし、その相手を敗者の立場と考えるからです。だから、わたしたちが人に対して、彼らの在り方を変えるべきだとの信念を押し付けるとき、人は非難や言い訳、沈黙、涙、あるいはそれなら絶交しょうと言った威嚇でもって身を守ろうとします。

  私たちは欠けの多いものであり、様々な欠点を持ち合わせています。だから、変わるべきであると理論的に迫られると、逆に、腹が立つことが起こります。けれども、それが倫理的で反論の余地のないものであればあるほど、防衛手段を一つずつはぎ取られていくのです。ドイツの画家ゲルハルト・リヒターは、「人間は世間で思われているよりはるかに容易に、意見の食い違いや忠告を受け入れる。但しそれが乱暴に押し付けられると、いくら正当な意見でも我慢できない。心は花である。優しく置く露には何も言わないが、雨が猛然とふりかかると、ぴたりと閉じてしまう」と言っています。彼の言うように心は花です。私たちは人に対して猛然とふりかかる雨なのでしょうか。静かにおりる露なのでしょうか。