越生通信8月

2018年8月13日
投稿先 近況報告

■7/6~8日にかけて、西日本広域にわたって襲った記録的豪雨は、家が土砂で流され、車や家が濁流の中に流される光景は、まるで目を疑いたくなるような、この世の悪夢を見ているようであった。多くの犠牲者、被害者が出ている中、現地ではライフラインが寸断されている中で、少しでもできることを皆で協力して頑張っている姿を見て、祈らずにはいられませんでした。

■7/31日、森田進先生の葬儀に出席しました。先生は、詩人であり、文学を通して韓国と日本の架け橋をされ、また、ハンセン病の患者さんに詩を通して接しておられました。私と森田先生との交わりは、東京神学大学の時でした。とても温厚な方で、遺族の方のご挨拶の中でも、「父は太陽のように明るく、温かい人であった」というお人柄でありました。特に森田先生との思いでは、並木浩一先生と共に「秋の日帰り旅行」で、1回目は、富士山の5合目まで車まで登り、その後、忍野八海を見学。2回目は、乗鞍連峰の温泉につかり、隣の男湯から聞こえてくる並木先生の講義を拝聴したことは、とても懐かしく、温泉のほてりと共に外に出ると、周りの木々の紅葉のきれいなことが昨日のように思い出されました。

葬儀の時、森田先生の思い出を語る先生、後輩、友人は、先生の温厚な中に厳しい面をもっておられたこともお話しくださり、詩人として有名な方であったので、その後、東京神学大学で神学の勉学を取るとは、異例なことであったということをお聞きしましたが、神さまは、本当に必要なことを、その人に与えてくださったことを知ることができました。

    森田進牧師葬儀式国分寺教会

■8/5日(日)主日礼拝は、聖餐式の恵みをいただくことができた。その日は、パラグアイで宣教師として働いている知花スガ子師が、義理のお母さんと息子さん夫婦と子供と共に礼拝に参加されました。また、先輩の角田ご夫妻も共に礼拝に出席くださり、共に礼拝の喜びにあふれました。パラグアイは、日本の反対側で、今丁度冬の時期であり、その地に新会堂の土地を購入して、これから新会堂を建てる計画があることをお聞きして、神に支えられていること、又、日本の皆さんが、知花スガ子宣教師を支えてくださることに、心から感謝いたします。

       越生教会礼拝堂

ー私の人生に影響を与えた人ー

M・E

私を洗礼まで導いたのは、武蔵豊岡教会の逢坂哲夫牧師菊枝夫人であり、勿論、霊的な逢坂牧師と信仰の大先輩のM夫婦、教会学校教師のY姉先生とCSの子供たち、誰もが私の信仰の喜びと助け主です。逢坂牧師は、何故そう思ったのか、私に人形劇の舞台装置を作らせたり、市民会館で行うクリスマス会降誕劇用のステンドグラスや、発表会のシナリオ作りと演出をさせ、進行係として起用したのです。

どこに行くにも私を伴い、茨城県鹿嶋で行われる関東教区総会や、牧師互助会の会場潮来(いたこ)の水郷に連れて行き先生方に紹介するのです。たまに「息子さんですか」と聞かれることもありました。

1970年代キリスト教会の青年会は学生運動が原因で空中分解してありませんでした。そこで埼玉新生教会の中村眞さんと、「青年の集う会」準備委員会を立ち上げて、埼玉地区総会で青年会として承認されたのです。

青年会では、中村眞さん、北本教会の三輪牧師が、頼りない私を陰ながら支えてくださいました。それと同時に私みたいな無きに等しい者をあえて選ばれたのであろうか教育委員にも任命され、青年会の事業計画案や青年修養会、CS生徒大会のご奉仕等させていただきました。不思議なことに、この時、青年会員のバプテスマ受洗者が次から次へと願い出されたのです。私は当時売れていた三浦綾子作「氷点」や遠藤周作の「沈黙」の本をひとり一人にプレゼントしました。

人前に出るのが苦手な私は、修養会や集会の司会、教育委員会の会合に出席するのは苦痛で仕方ありませんでしたが、ある時祈っていると、「主ご自身があなたと共におられる」(申命記31:8)と、ふと聖霊を感じることがありました。「ああ!聖霊が私を導いてくださっている、いつも共にいてくださっている」と喜んで今も感じています。共にいて生かされている私は、感謝の気持ちでいっぱいです。


■ー時間を有効に使っていますか―

「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです」(エフェソ5・16)。

アラン・ラーキンは、「時間は人生である。もとに戻すことも、取り替えることもできない。時間を無駄にすることは人生を無駄にすることであり、時間をマスターすることは、人生をマスターすることである。人生は最大限に活用しなければならない」と、言っています。

皆さんは、時間を無駄にしないで、有効に活用されていますか。

常に独楽鼠のように、「せかせか」動き回っている人、また、どっしりと構えて動じないで、マイペースで物事を見ながら、時間など気にせず行動する人もいることでしょう。忙しさは時間をどう使うかに関連しています。やる気でやっている者は忙しさを忘れているものです。本気で何かに取り組んでいる時は、忙しいなどとは考えません。

時間は要不要のいかんにかかわらず、ある活動、ある仕事と交換されていきます。忙しくて時間がないというのも、時が与えてくれます。いつも時間に追いかけられ、時間と競争し、時間を使うどころか時間に使われているような状態ではないでしょうか。この自分の自由裁量の時間をどうするかで人生が決まります。

バークレーは、人生にはわざわざそのために時間を作らなければならないようなことがあると言って、四つの点を挙げています。

①私たちは、考える時間を作らなければならない。

②私たちは、祈る時間を作らなければならない。

③私たちは、話す時間を作らなければならない。

④私たちは何もしないでいる時間を作らなければ、と言っています。

さあ、皆さんも、有効に時間を使いましょう。

      時を刻む時計