越生通信10月

2018年10月14日
投稿先 近況報告
越生教会礼拝堂

■9月16(日)礼拝後、希望者8名が集い、ディボーションの分かち合いを、当日の説教からすることができた。「ディボーションの分かち合い」とは、コロサイの信徒への手紙3章16節に記されているように、ディボーションで受けた恵みを、他の人と分かち合い、互いに教えと戒めを受け、慰めと励ましを与えられ、共に神さまに祈り、喜び、賛美し、ほめたたえることである。共に分かち合える喜びに感謝である。


■9月26日(水)越生教会の親睦旅行で、川島町にある遠山記念館とふじみ野市にある福岡河岸記念館に行ってきました。小雨の降る中、教会員の方の大型ワゴン車に8名が乗り、40分程で遠山記念館に到着しました。遠山邸は川島町出身で日興証券の創立者である遠山元一氏が、母の安住の住いとして昭和11年に建てた家屋です。茅葺き屋根、欅造りの居間、書院造りの大広間、京風数寄屋造りの母の寝室等、どの部屋も贅をつくした造りで、時を超えて当時の繁栄した様子が目に浮かんでくるようでした。お昼は、島崎・藤村が舟遊びに来て食事をした旧料理屋で食べました。とてもボリュームのある海鮮丼定食でしたが、おしゃべりしながら最後のデザート、コーヒーまで美味しくいただきました。午後は254号線を大宮方面に走って福岡河岸記念館に。上福岡歴史民俗資料館の職員の方に解説していただきながら、江戸時代から昭和初期まで約300年間続いた新河岸川舟運の歴史を学びました。今回は片道一時間内で行かれるミニミニ旅行でしたが、埼玉県の歴史の一部にふれることのできた楽しい一日でした。

楽しい食事風景
親睦旅行記念写真

 

 

 

 

 


―おごせ福祉作業所のなかま達と―

F・W

 ♫ 一人の小さな手、何もできないけれどそれでもみんなの手と手を合わせれば、きっとできる、何かができる 🎶

 私が30年近く関わらせていただいた、おごせ福祉作業場はこの曲をテーマソングのように、〝輪〟になって楽しく踊っていました。40人近くのメンバーひとり一人の手(力)は小さいです。でもみんなの手が集まると年間1000万円以上の働きがあります。一般企業等の賃金に比べると、僅かな賃金でも黙々と働いているのです。数年前までは、障害者達は社会からも認められずひっそりと生きていた時代がありました。なかま達の純粋な生き方が少しずつ社会を変えて行き、本人を中心に保護者・関係者達の多くの支援の〝輪〟が広がり、作業所がスタートすることができました。建物も町のプレハブ2階建ての倉庫を借り、5~6人のなかまの集まりで無認可施設、補助金申請もなく、厳しい運営の中でも、持ち前のなかま達の明るく底知れぬ逞しさに励まされ長い間の多くの人達の念願でもあった社会福祉法人施設として二箇所の作業所、喫茶店、グループホームへと、住み慣れた地域の中、安心して暮らせる生活の場、働く場が徐々に実現することができました。

「体の中で他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(Ⅰコリント12・22)

なかま達はなにもできないのではなく、神様がひとり一人のもっている賜物を通して、町の中に〝世の光〟としてなかま達を照らし続けてくださっているのです。

私こそ何もできない欠けだらけの器です。小さなことに躓き挫けそうになった時、〝輪〟の中でなかま達が寄り添い限りない優しさに触れ助けられてきました。なかま達を通して主の大きな愛を頂き、教会生活が続けられることは本当に言い尽くせぬ感謝です。


―新しい命―

「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてある通りです。……アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。」(ローマ4・17)。

 私たちが信じている神は、全能者です。「無から有を呼び出される神」です。私たちがこの神の不思議な能力をつかむ時、人生は一変します。ユダヤ人の祖父、アブラハムはこれをつかんだ人でした。だから彼は信仰の父と呼ばれました。アブラハムとその妻サラとの間には子供がいません。サラは不妊の女だったのです。しかもアブラハムが既に高齢に達し、常識では子供を産むことなど不可能な年齢でありました。けれども、神はご自身の計画を遂行なさるために、彼らのために男の子を与えられました。そして、その子によって多くの国民が生じると約束されたのです。

アブラハムは神が無から有を生じさせることができるお方であることを信じたため、実際にその通りになり、彼らの間にイサクと言う男の子が生まれました。アブラハムの信仰の手が全能の神をつかんだ時、神がお働きになることができたのです。

先日、ふと目にとまったクリスチャン詩人の竹内英子さんの「無力の中に」の詩が、目の中に飛び込んできました。

「暗やみの中に 光はひときわ眩く 照り輝き 土の中に ハスは美しく 花開く すべての 全く無なる者の中に はじめて 

新しい生命が現れる それは神がみずから 働かれるからである 人の希望がそこにある」

この詩を見た時に、私たちが2年前に新潟県高田市へ行ったときに、ハスの花が一面に咲いていた風景が鮮やかに思い出されました。泥中に美しい花が咲くのは、ハスが表面の泥の底にある綺麗な土のところに達するまでその根を伸ばしているから、咲けるのだということ。だから綺麗な土に根を下ろせば、周囲がどんな泥沼でもそれに影響されないのだというのです。私たちも無から有を呼び出される神に人生の根を下ろし、周囲の汚れに染まない綺麗な花を咲かせていただきたいものですね。