越生通信―2017年3月

■ 近況報告
人間は「おぎゃ」と生まれたら、誰でも、早かれ遅かれ死を迎えます。日本の教会を見ますと、どこの教会も高齢化の問題を抱えている現状が見えます。
そこで、越生教会は、2月12日(日)に、葬儀社「輝」から奥田氏をお迎えして、「葬儀セミナー」を開催しました。

「何故葬儀を行うのか」また、「葬儀の実際がかなり変わってきている」ことなどを色々と分かりやすく奥田氏はお話しくださいました。今一番見直さなければいけないことは、「命の大切さ」が叫ばれている時代です。

キリスト教の葬儀について大切なことは、
(1)礼拝として行われるものである。
(2)深い悲しみの中にあるご遺族の慰めとなるため。
(3)参列された方が葬儀を通して、自分の人生について考えるきっかけになるため。
(4)故人に敬意を表し、ご遺体を丁寧に葬ります。しかし、故人を拝むことはしません。
(5)教会が行う礼拝共同体、牧会共同体、宣教共同体である。
(6)弔辞は、会衆に向かって行う。
(7)お清めの「塩」について、キリスト教では、死を恐れない不浄の存在とは考えない。
越生教会でも、エンデングノートを信徒の方に書いていただいておりますが、今回の「輝」さんの「凱旋の備え」を参考にされて、書かれても良いのではないでしょうか。いずれにしろ、私たちの死はいつ訪れるか誰も分かりません。死んでしまってからでは、遅いのです。今から残された方々が困らないように、ご自分の死についての、希望をエンデングノートに書いておきましょう。又、書いたらおしまいというのではなく、気付いた時に、いつでも書き直せるのです。


■ 私の好きな聖句

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。…すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(Ⅰコリント13・4~7)。

江田めぐみ:
わたしは、牧師の家庭に生まれ育った。四人兄弟の二番目で、小学生の時には、いつも裏山で男の子に交じってチャンバラごっこをしたりして遊んでいたので、女のガキ大将と呼ばれていた。私は負けず嫌いであったから、小学校6年生の時に些細なことで、男の子と喧嘩をしてしまう。相手の子が、私の目の上をパンチしてきたので、うられた喧嘩は受けて立ち、取っ組み合いになり、みんなの見ている前で、先生が止めに入るまで続いた。結果、男の子はしくしくと泣き始めてしまう。母の教育は、はっきりとしていて、「正しいことは自分の意志を貫きなさい」という教育であり、私の性格は、自然と白黒をはっきりとさせる自分がいることに気付いた。青春時代は、青春を謳歌する中で、その性格が災いすることも、しばしば。また、好奇心は人一倍強く、徹底的に自分の思うところまで突き詰める性格の自分がいた。ミッションスクールの中で、勉学を続けている中で、何故か良い子でいなければいけない自分に気づき、気が付くと「放蕩息子」のお話のように、自己中心的な生活をしていた。そんな時、父は、「お前は今、天に唾を吐いているのだから、いずれそれは自分の所に帰って来るよ」と言われても、その時は分からない。でも神さまに捉われると、すべてが変わる。人生の道をすべて備えてくださるのも神であり、愛は、すべてを忍び、すべてを信じすべてを望み、すべてに耐えることを教えてくれた。


■ コラム
この浮き世は一つの鏡である
(写真:春の香り漂う越生の梅の花)
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「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさいこれこそ律法と預言者である」(マタイ7章12節)。

この聖書のみ言葉は、黄金律と呼ばれている箇所である。私はかつてキリスト教会幼稚園の教諭をしていた。ある朝、登園してくる子供を迎えて、玄関入口の所に立っていた。スクールバスから降りて来る子供たちを、笑顔で「おはよう」と声をかけると、子供たちも「おはよう」と答えてくれた。しかし、もう少し丁寧に「おはようございます」と挨拶の言葉を変えてみますと、子どもたちも、「おはようございます」と答えてくれる。
賢者ソロモンは、

「人がわたしにするように、わたしもその人に対ししよう。それぞれの行いに応じて報いよう」とは、あなたの言うべきことではない(箴言24・29)

と、書き残しました。しかし、幼稚園の子供までが、「先生が私にしたように、私も先生にしよう」という生き方です。ですから、周りの人たちとうまくやって行こうとするに当たっては、自分を変えれば良いということになるのではないでしょうか。自分を変える方が、他人を変わらせようとするよりも、ずっと効率的であります。それは予想よりも早く、はるかに越えて効率よく私たちの人生をよくしてくれるからです。
人を変えるのが至難のわざであるのは、自分が変わろうとしないからです。自分が変われば、人も変わります。なにぶんにもこの世は鏡なのですから。

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