越生通信―2017年4月

■ 近況報告
◯2017年度4月教会の活動も始まりました。今年度の教会標語は、コリントのみ言葉から

「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(コリント信徒への手紙二4章18節)

です。
このみ言葉は、今ここで「見えるもの」がもたらす苦難の中に立ちつつ、その現実を批判し、キリストの復活がもたらす「福音の光」の中で、「見えないもの」を見つめることができる信仰のまなざしは自分の存在の命の深みにおいて、永遠なるものを既にここで知ることができるということであります。


◯イースターは、イエス・キリストが十字架の上で亡くなった後、三日目に復活した出来事を伝えることを記念して行われる礼拝です。   
イースターの日付けは、それぞれの年の春分の日の直後に来る満月の次の日曜日を指します。キリストの復活はただ死の克服と言うだけではなくて、新しい人生と世界の方向付けという意味を持つという点から特別の意味を含んでいると考えられています。
 
◯イースターの時に何故、卵を飾るのか?
 ひよこが卵の殻を破って出てくるように、キリストも死という殻を破って甦られました。そういうことから、新しい命をもつ「卵」が復活のシンボルとされています。また、「イースターエッグ」と呼ばれていて、卵に色々と絵を描くという風習があります。最近は卵をエッグラップのフィルムを通し、お湯の熱でフィルムが縮むと卵に張り付き、イラスト付き卵ができ上がります。
 
◯キリストを「救い主」と信じるなら、私たちもキリストのように新しい命に、永遠に生きることができるのです。 


■ 教会での思い出
(Y・I)
 平成15年12月、越生教会に転移して、既に13年目。静かに主日礼拝を守ることを求めていただけに、越生地区の自然環境は十分条件を満たしてくれました。ところが現状の主イエス・キリストの体なる越生教会はと言えば「無牧」招聘の件・別帳会員の対応・教会の高齢化と多くの問題を抱えた「嵐の中の教会」そのものであったと感じました。
 この越生教会に小生がなぜ留まることに決めたかと言えば、小生の信仰生活の支えである「神は愛なり」の御言葉を小さな礼拝堂の隅に見出したからに他ありません。この時期越生教会への転会教会員の先輩である、故長谷川姉との交わりの中で、今教会で必要なことはリバイバル福音の原点に戻って、教会での信仰の諸先輩方の伝道の業に学ばなければいけないと、お互いに強く知らされました。そして、絵鳩牧師の提案による「仮称越生教会の記念誌」を創る相談を受け、役員会の賛同と山羽牧師の補助を得て、平成18年11月、完成いたしました。更に平成19年10月には現在教会行事として秋期行われている「チャペルコンサート」のきっかけとなる「主日礼拝」に於ける「賛美礼拝」を持つことができました。特にこの賛美礼拝には小生の母校「明学OB…グレゴリー男性合唱団8名の応援を得て実現できました。思えば、嵐の中の教会であって、神さまの豊かな恵みを受けて力強く教会員が主イエス・キリストの体なる越生教会での信仰生活の証を果たすとき、神様は私達に大きな希望を与えて下さることを確信致しました。
 越生通信の新シリーズ「私の教会での思い出」の依頼を受けた時、この短文が小生のエンディング・ノートの1ページを飾る言葉になるのではと思うと同時に抗がん剤治療で術後2年すでに21日(3週間毎)サイクルにて市民病院での半日の点滴を受けている小生に神様は日々の生活に於いて無理することなく、楽しく明るく過ごす生きる希望を持つ大切さを示されたものと、確信し感謝しています。


■ コラム
今日という日を有意義に過ごすには?

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6・34)

 皆さんは、普段の生活の中でどのように過ごされておられますか。
リーコック・スティーヴンは、「人生とは、その日その時の連続を生きて行くことだと悟った時には既に遅い」と言っています。
 私たちはいつも「明日になったら」と思って生きています。人間の性質のうちで悲劇的なことは一つの逃避ではないでしょうか。今日の生活、今日の悩み、今日の困難から逃避しようとすることです。私たちは皆、地平線の彼方の遠い魔法のバラ園を見ていて、今日、我が家の窓辺に咲いているバラの花には気が付かないのです。
 クリスチャンがささげる「主の祈り」の中に、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」と言う祈りは、ただ「今日の糧」を求めているだけです。それは昨日食べる糧を心配して不平を言っているのではありません。また、明日食べる糧を心配して、こう言っているのでもありません。
 この祈りは、昨日を忘れ、明日を思いわずらわず、一度に一日だけを生きることを教えています。多くの人が昨日を悔やみ、明日を心配し、明日を恐れて、一度に三日分を生きようとするので行きづまるのです。今日は、昨日あなたが思いわずらった明日なのです。


■ つぶやき
 越生教会の周りの山々は、沢山の春の香りを運んで来ています。寒い冬の中、固く結んでいた花のつぼみもほころび、色とりどりの花があちこちから咲き誇っています。
越生町はハイキングの町、土日曜日ともなると多くの人々が訪れます。越生教会にも、毎年梅の時期になると、東京から訪れてくださる方が、今年はまだお見えにならず、どうしているのかな?お年と共に、歩くことが億劫になったのかな?また、訪れてくれるのを待っています。

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