越生通信_2017年5月

さわやかな風薫五月、青空の下で元気よくこいのぼりが泳いでいます。

4月16日のイースターの愛餐会では、皆さん一品持ち寄りの手作りの中には、せりのてんぷらや、ふきの煮物等で春の香りを楽しみ、カレーを戴きお腹も満腹になりました。その後、全員参加で、人形劇「復活のイエス・エマオへの途上」を、演じていただきました。

自己申請で役を選び、以前に目を通していただいていた脚本を役によって、舞台へ行きそこで演じるということで、ぶっつけ本番で、挑みました。すると、舞台で出ている人たちは、人形を片手にセリフも言わなければいけないので、そのために人形は、あまり動かずと言うこともあったり、舞台裏では色々なハプニングもあって見ている観客も、演じている人も、笑いの渦があちこちで生まれ、とても楽しい人形劇を見ることができました。

教会員全員の心が一つになって演じることができたことは、これからの越生教会の教会形成にも、つながっていくこととの一つの現れで、本当に素敵な愛餐会を皆さんと共に持てたことに、感謝いたします。人形劇の準備舞台設定等すべて江田兄の提案でできましたこと、感謝です。これから、更に皆さんがそれをステップとして、次のものを考えていけるように、良いアイデアーを考えてください。次の出し物が楽しみです。

人形劇「復活のイエス・エマオへの道」


■教会での思い出

-越生教会と歩みを共にして-(M・O)

私は、今から50年前に越生教会の一員となりました。その時の牧師は、中村蔵人先生で、越生教会は今の会堂ではなく、みどり幼稚園の多目的ホールで礼拝が守られ、幼稚園園舎も古く昔し機織工場の女子寮を手直しした建物で、礼拝出席者数7~8人でした。

私は結婚と同時にみどり幼稚園に勤め礼拝に出席しましたが、教会員としての自覚もなく、全て牧師依存で時が過ぎてしまいました。1977年に現在の会堂設立、幼稚園園舎も建て替え、中村牧師個人の献金で、教会を建てました。その後、何年か過ぎ新しい主任牧師として佐柳文男牧師をお迎えし少しずつ教会形成がなされつつありましたが、色々な事情で辞任をされ、一年間は毛呂教会の藤波牧師が兼務し、一年後山田嘉三牧師となりました。

私はそれまで牧師の語られる説教が理解できず、また、分かろうとは努力もせずにおりました。ある時、礼拝からの帰りに義母から礼拝に出席するように勧められ改めて主日礼拝に出席しました。そして1993年の定期総会にて役員に選ばれ、この事が一回目の試練となり、その状態を見ていた、山田牧師は、教会形成のための学びをしてくださり、その後、教会員としての自覚が芽生えたのです。

これまで、越生教会は数々の試練にあわれましたが、「神さまは、私たちにできない重荷は負わせるはずがなく必ずや逃れる道を示してくださる」ことが信じられました。これから、越生教会の形成のために、何をすべきか、小さい群ですが、教会員一同祈り、目標を掲げ、希望をもって歩んでいきたいと願っています。


■コラム

―人生の三つの確信―

「わたしは正しいものは信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適(かな)わない」(ヘブル人への手紙10・38)

ユダヤ人の先祖であるアブラハムは信仰の父と仰がれた人でした。彼は富にも権力にも恵まれて、カルデヤの地に安住していましたが、ある日、彼は神の祝福を携えて生きる使命を戴き、その祝福を世に反映するのです。神は彼に住みなれた地を離れ、神が示す新しい地に移住するように指示されたのです。それはその地の罪悪が大きかったので、アブラハムと家族を罪から守り、アブラハムの持っている聖書の神に対する信仰をまだ知らない人々に伝えさせるためでありました。

アブラハムは、「信仰によって、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出ていくように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。」

行く先を知らずに出ていくことは無謀なことでありますが、よく考えると人はみな行く末を知らず、人生を手探りで進んでいるのではないでしょうか。

アブラハムは行き先を知りませんでしたが、今日多くの人々が知らない大切なことを確信しています。それは、
(1)彼は旅の同伴者を知っています。いついかなる時にも、「神が共にいます」と言うこと。
(2)神の約束の言葉をはっきりと知っていたのです。
(3)彼は旅の行く先を知りませんでしたが、人生全体を通じて究極の目的地を知っていたのです。それは神のみ国です。
アブラハムの知っていた三つのことを、私たちも確信して信仰の歩みとして行きたいものです。

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