近況報告

越生通信2月

■今年の新年合同礼拝は、埼玉和光教会で1/14(月)最寄り二区19教会伝道所他1区より113名が集められました。説教は、子供向けと全体向けに語られ、どちらも同じ聖書箇所(ヨハネ10章7~18節)が用いられました。子どもたちの説教は、坂戸いずみ教会CCスタッフによる「良い羊飼い」の聖書劇を会場全体使って演じられ、演技を見ている会衆も一体となり、随所で笑い声が上がり、とても微笑ましい劇を観ることができました。全体向け説教は、埼玉和光教会の岩河敏宏牧師が、「一つの群れになる」と題して、私たちはどのように養われようとしているか。聖書には私たちを羊にたとえている。旧約聖書詩編100:3、119:176、イザヤ書53:6節のモチーフにはベースとなって今日の聖書箇所を問われている。また、ヨハネ福音書では、「命を捨てる」、「良い羊飼いである」こと、イエスさまは唯一の羊飼いである。そして、善い羊飼いの具体的なことをお話しくださいました。又、聖餐式の恵みも頂き、礼拝後、愛餐会で軽い軽食を頂き、主にある温かい交流を持つことができました。

私は教師委員で、この新年合同礼拝の段取りから、資料作り、印刷、当日の進行役を担当し、多くの喜びを頂きました。又、多くの方々とお交わりをすることができて感謝です。

新年合同礼拝
聖餐式
聖書劇「よい羊飼い」

私に影響を与えた聖霊

M・A

青年会の集会の司式の時に祈っていると「主ご自身があなたと共におられる」(申命記31:8)と、瞼の中に白い衣を着た人が現れたのです。「私達はどう祈るべきかを知りませんが“霊”自らが言葉に表せないうめきをもって執り成して下さるからです。」

(ロマ8:26)と“霊”自らが祈って下さったのです。「言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる。」(ルカ12:12)これは教団に属した教会から霊の業を通して与えられたのです。

神の応答は病の疑いのある教師の帰国の時も示されたのです。現地の宣教の為には信徒の方々と私達も同じ思いでした。教師のために祈ったことは勿論、教師の所属する教会の信徒の皆様、牧師、関係する人々は心を一つにして祈った事でしょう。病が消え、不安から希望へと光が差したのです。「あなた方も信仰を持ち疑わないならば―その通りになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(マタ21:21,22)教師は現地で宣教に励んでいます。「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。」(ヤコブ5:15)「願い求めても与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。」(ヤコブ4:3)大宮教会で行われた「デボーション」は韓国語の同時通訳で、その内容と証しは圧倒的です。「分かち合い」の時です。私は思いました、逃げ出そう、しかし観念して参加しました。初対面のご婦人方5名と私、大宮教会のご婦人がリーダーで、讃美歌を唄い分かち合いが始まりました。内容の観察、神様はどのようなお方、―生活への適用と祈り、この短い時間の内に、幼い頃から一諸に育ってきた感覚に囚われたのです。それは皆様も私も共に感じたことなのです。「私の兄弟姉妹とは神の御言葉を聞いて行なう人たち。」(ルカ8:21)なのです。「神は私達の内に住まわせた霊をねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」(ヤコブ4:5~6)聖霊に満たされ、言葉で言い尽くせない、すばらしい喜びに満ちあふれて、感謝にたえません。


■講壇交換

1/27(日)講壇交換を越生教会と小川教会で行ないました。礼拝後、愛餐会でそれぞれのお交わりをすることができました。

越生教会礼拝

愛餐会

小川教会礼拝
小川教会の皆さんと一緒に記念写真

■3区合同教師会

1/28(月)3区合同教師会が、武蔵豊岡教会&サイボクハムバーベキュー場で行われました。教会で礼拝後、昼食はサイボクハムバーベキュー場に移り、昼食で、美味しい肉と野菜を頂きながら会話が弾みました。普段忙しい先生方も、一息つかれたのではないでしょうか。とても和やかなお交わりがもてました。

武蔵豊岡教会の礼拝風景
分団で、デボーション
バーベキューを囲んで!
昼食の様子

くつ屋のマルチンを通して教えられた隣人愛

「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。(マタイ25:40)。

皆さんは、教会の日曜学校で、数々の劇をされたことがあることでしょう。この聖書箇所は、私がまだ日曜学校の頃、「くつ屋のマルチン」を演じた時に、覚えた聖書箇所です。ロシヤの文豪トルストイが書いたこの物語は、マルチンが熱心に聖書を読んでいるうちに、聖書のキリストが実際に自分を尋ねて来ればよいのにと願うのです。その夜、夢の中で、「マルチン、マルチン、明日通りを見ていなさい。私が訪ねますから」という天からの声を聞くのです。マルチンはそれが夢か真か、分かりませんでしたが、翌日一日中、窓の外を気にしながら仕事をしていました。こうして外を眺めていると、一人の道路掃除夫が除雪しているのが目にとまりました。作業をしながらも、冷たそうに時々手をこすっています。マルチンは彼を家に招き入れて、お茶を与え、ストーブに当たらせました。また、しばらくすると、女の人が古い布袋で赤ちゃんをくるんで、雪の中外に立っているのを窓越しに見て、マルチンは彼女も家に招き入れ、温かい食事を与えました。マルチンはまた助けを求めて彼の家に逃げ込んできたりんごを盗んだ少年、そして少年を追いかけてきたりんご売りの女の人を招き入れ、この女の怒りを和らげて、少年を許すように言いました。二人がマルチンの家を出た時、少年は女の人のりんごの籠をもって仲良く出ていきました。この最後の場面は、マルチンが一本のローソクを灯した仕事場にしょんぼりしている姿です。

「もう日はとっくに暮れていっているのに、イエスさまは来て下さらなかった」と失望しかけたマルチンの目の前に、突然昼間の道路掃除夫、赤ちゃんを抱いた女の人、りんご売りの女の人と少年が現れ、夜、夢の中で聞いた声が聞こえたのです。

「マルチン、マルチン、私たちを知っているでしょう。私がイエスです。」こうして他人の愛の奉仕をする時に、キリストと出会うと言う真理をマルチンは悟ったのです。

私たちも、主イエスから離れることがあるかもしれませんが、神さまは、私たち一人ひとりを知っておられます。ですから、私たちはこの物語のように、隣人愛を持って、神さまの愛を伝える者になろうではありませんか。

「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば、主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる」(箴言3:5~6)。

江田 めぐみ