越生通信8月

近況報告

■7/6~8日にかけて、西日本広域にわたって襲った記録的豪雨は、家が土砂で流され、車や家が濁流の中に流される光景は、まるで目を疑いたくなるような、この世の悪夢を見ているようであった。多くの犠牲者、被害者が出ている中、現地ではライフラインが寸断されている中で、少しでもできることを皆で協力して頑張っている姿を見て、祈らずにはいられませんでした。

■7/31日、森田進先生の葬儀に出席しました。先生は、詩人であり、文学を通して韓国と日本の架け橋をされ、また、ハンセン病の患者さんに詩を通して接しておられました。私と森田先生との交わりは、東京神学大学の時でした。とても温厚な方で、遺族の方のご挨拶の中でも、「父は太陽のように明るく、温かい人であった」というお人柄でありました。特に森田先生との思いでは、並木浩一先生と共に「秋の日帰り旅行」で、1回目は、富士山の5合目まで車まで登り、その後、忍野八海を見学。2回目は、乗鞍連峰の温泉につかり、隣の男湯から聞こえてくる並木先生の講義を拝聴したことは、とても懐かしく、温泉のほてりと共に外に出ると、周りの木々の紅葉のきれいなことが昨日のように思い出されました。

葬儀の時、森田先生の思い出を語る先生、後輩、友人は、先生の温厚な中に厳しい面をもっておられたこともお話しくださり、詩人として有名な方であったので、その後、東京神学大学で神学の勉学を取るとは、異例なことであったということをお聞きしましたが、神さまは、本当に必要なことを、その人に与えてくださったことを知ることができました。

    森田進牧師葬儀式国分寺教会

■8/5日(日)主日礼拝は、聖餐式の恵みをいただくことができた。その日は、パラグアイで宣教師として働いている知花スガ子師が、義理のお母さんと息子さん夫婦と子供と共に礼拝に参加されました。また、先輩の角田ご夫妻も共に礼拝に出席くださり、共に礼拝の喜びにあふれました。パラグアイは、日本の反対側で、今丁度冬の時期であり、その地に新会堂の土地を購入して、これから新会堂を建てる計画があることをお聞きして、神に支えられていること、又、日本の皆さんが、知花スガ子宣教師を支えてくださることに、心から感謝いたします。

       越生教会礼拝堂

ー私の人生に影響を与えた人ー

M・E

私を洗礼まで導いたのは、武蔵豊岡教会の逢坂哲夫牧師菊枝夫人であり、勿論、霊的な逢坂牧師と信仰の大先輩のM夫婦、教会学校教師のY姉先生とCSの子供たち、誰もが私の信仰の喜びと助け主です。逢坂牧師は、何故そう思ったのか、私に人形劇の舞台装置を作らせたり、市民会館で行うクリスマス会降誕劇用のステンドグラスや、発表会のシナリオ作りと演出をさせ、進行係として起用したのです。

どこに行くにも私を伴い、茨城県鹿嶋で行われる関東教区総会や、牧師互助会の会場潮来(いたこ)の水郷に連れて行き先生方に紹介するのです。たまに「息子さんですか」と聞かれることもありました。

1970年代キリスト教会の青年会は学生運動が原因で空中分解してありませんでした。そこで埼玉新生教会の中村眞さんと、「青年の集う会」準備委員会を立ち上げて、埼玉地区総会で青年会として承認されたのです。

青年会では、中村眞さん、北本教会の三輪牧師が、頼りない私を陰ながら支えてくださいました。それと同時に私みたいな無きに等しい者をあえて選ばれたのであろうか教育委員にも任命され、青年会の事業計画案や青年修養会、CS生徒大会のご奉仕等させていただきました。不思議なことに、この時、青年会員のバプテスマ受洗者が次から次へと願い出されたのです。私は当時売れていた三浦綾子作「氷点」や遠藤周作の「沈黙」の本をひとり一人にプレゼントしました。

人前に出るのが苦手な私は、修養会や集会の司会、教育委員会の会合に出席するのは苦痛で仕方ありませんでしたが、ある時祈っていると、「主ご自身があなたと共におられる」(申命記31:8)と、ふと聖霊を感じることがありました。「ああ!聖霊が私を導いてくださっている、いつも共にいてくださっている」と喜んで今も感じています。共にいて生かされている私は、感謝の気持ちでいっぱいです。


■ー時間を有効に使っていますか―

「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです」(エフェソ5・16)。

アラン・ラーキンは、「時間は人生である。もとに戻すことも、取り替えることもできない。時間を無駄にすることは人生を無駄にすることであり、時間をマスターすることは、人生をマスターすることである。人生は最大限に活用しなければならない」と、言っています。

皆さんは、時間を無駄にしないで、有効に活用されていますか。

常に独楽鼠のように、「せかせか」動き回っている人、また、どっしりと構えて動じないで、マイペースで物事を見ながら、時間など気にせず行動する人もいることでしょう。忙しさは時間をどう使うかに関連しています。やる気でやっている者は忙しさを忘れているものです。本気で何かに取り組んでいる時は、忙しいなどとは考えません。

時間は要不要のいかんにかかわらず、ある活動、ある仕事と交換されていきます。忙しくて時間がないというのも、時が与えてくれます。いつも時間に追いかけられ、時間と競争し、時間を使うどころか時間に使われているような状態ではないでしょうか。この自分の自由裁量の時間をどうするかで人生が決まります。

バークレーは、人生にはわざわざそのために時間を作らなければならないようなことがあると言って、四つの点を挙げています。

①私たちは、考える時間を作らなければならない。

②私たちは、祈る時間を作らなければならない。

③私たちは、話す時間を作らなければならない。

④私たちは何もしないでいる時間を作らなければ、と言っています。

さあ、皆さんも、有効に時間を使いましょう。

      時を刻む時計

越生通信7月

未分類

■ 越生教会に隣接するみどり幼稚園と今年も一緒に交流する機会を持つことができ、感謝です。6月9日(土)みどり幼稚園ファミリーデー園内オリエンテーリングで、越生教会の紹介として、みどり幼稚園のお友達へ「神さまからの手紙」を作り、当日玄関入口で、皆さんに手渡すことができました。ある一組の親子は、初めて、教会の中まで入り今まで一度もここへ入ったことがなかったということをお聞きして、同じ敷地内にあるのに、教会と幼稚園の交流は、限られていている現状を改めて痛切しました。でも、新園長になってからは、教会に対する理解もあり、これからもっともっと、教会を知ってもらい、親子で教会へ出席される人が出るようにと祈っています。

パンフレットみどり幼稚園児に配布した(神さまからの手紙)

■6月14日(木)花の日礼拝を、みどり幼稚園の子どもたちと共に、越生教会礼拝堂で守ることができました。子どもたちがお家から持ってきたお花を、講壇前のテーブルに飾り、「麦の種」のお話を江田牧師から聴き、麦の種の歌を皆で歌いました。子どもたちからは、「花よ花よ」の素敵なプレゼントをいただき、教会からは、手作りバックの中に、大好きなキャンデーのおみやげに、みな大喜びでした。その後、子どもたちは、普段お世話になっている方々へ、お花をお届けしました。

花の日の集い

おみやげの手作りキャンデーバック

 

続きを読む

越生通信6月

近況報告

■近況報告

5月20日(日)は、ペンテコステ礼拝を守った後で、愛餐会をみどり幼稚園園庭のびわの木の下で、昼食を囲みました。初めのうちは、木陰で気持ちよかったのですが、そのうち風が吹くと肌寒くなり、昼食を食べ終わってからは、椅子を移動して、太陽を求め懇談の一時となりました。周りの山々から小鳥たちのさえずりが聞こえて来て、バックグランド ミュージックもあり、皆さんの食も進みました。感謝です!

愛餐会の食卓

  5月27日(日)主日礼拝に、聖望学園から7名の男子高校生が出席され、共に礼拝を守り賛美をすることができました。彼らは、高等学校三年生で、何回か越生の礼拝には出席されていました。越生以外に、川越や入間市等からも来られていました。学校の課題で出席するだけでなく、この中から一人でも教会へ繋がる人が出ることを願っています。

 

                 越生教会の礼拝風景

6月に入り、梅雨の季節となりました。露に似合う花の代表は、紫陽花です。先日、雨の降る中で、ピンクの花の咲く大きな葉の上で、カタツムリが気持ちよさそうに、角を伸ばしてゆったりと動いているのを見て、「でんでんむし虫」の歌を口ずさんでいました。

続きを読む

越生通信 5月

近況報告

■近況報告
風薫る若葉の心地よい季節となりました。越生教会の山々も新緑に包まれ、木々の梢から鶯の声や、数多くの小鳥たちのさえずりが聞こえてきます。朝の早い小鳥たちは、早朝5時頃から歌い始めます。まさしく小鳥の声が目覚まし時計のように、私の目覚めを起こしてくれます。

牧師館の裏の竹やぶからは、にょきにょきと筍が生え春の香りを沢山運んでくれます。旬の筍を頂くのは、酢味噌和えにするとお刺身のように美味しく頂けます。また、この時期は、あやめの花や、つつじ、山吹の花と香りとともに、多くの人々が越生町を訪れ、ハイカーの町である越生町は、いつになく活気ずきます。

そんな大自然の中の恵みをいただいて、日曜日の主日礼拝の講壇前は、沢山のお花が彩ります。そのお花の担当をされるOさんは、いつも近くに咲くお花を集められてこられ活けてくださるので、私たちは、説教を聴くことと同時に、目で美しいお花を眺めて守れる礼拝は、感謝です。お花を活けられるOさんは一年を通して喜びを持って毎週ご奉仕してくださるので、教会の礼拝堂が明るくなります。しかし、Oさんが病に倒れてしまい、しばらくその御奉仕もできないので、そのありがたみが身に沁みます。

教会前のみどり幼稚園園庭に泳ぐこいのぼり

続きを読む

越生通信ー2018年4月

近況報告

■近況報告

○越生教会の研修会は、2018年3月11日に行われました。今回の研修会は、本庄教会の疋田國磨呂牧師を講師としてお迎えし、「ディボーション(御言葉の傾聴)を身につける」(豊かに実を結ぶ信仰者としての歩むために)講義と実践の分かち合いから、学ぶことができました。聖書の中に書かれている出来事や心理が、現在の自分の生活の中で、どんな意味をもっているかを、読んだ聖書の御言葉から探し(聴く)のです。そして心に一番残った御言葉を書き記し、そこで教えられたこと、悟らされたことがあったら記します。日々の生活の中で、御言葉の傾聴の備えは、神さまと向き合うために、1.静かな時間2.静かな場所3.静かな心を準備し、信徒一人ひとりが主の弟子としての自覚をもって応答してください。見いだした心理、悟った恵み、示された教え、指摘された罪などを感謝し、祈りつつ自分の状況や生活に適用し応答するのです。このディボーションを通して、より聖書の御言葉を通して、日々の生活に潤いがまし加わったことに感謝です。

ディボーションの礼拝説教
愛餐会(花見をしながら頂いた昼食)

 

 

 

 

 

■4月1日(日)イースター礼拝を行いました。愛餐会は外の青空のもと、桜の花が満開の中、びわの木の木陰で心地よいそよ風に吹かれながら、オープンサンドイッチを頂きました。越生教会の周りでは、うぐいすの声や、小鳥のさえずりのもとで説教をできることは、神の恵みと喜びを感じます。


―自分に影響を与えた人―

″今でも父母に感謝″ 石黒康忠

現在満77歳の小生が感謝をもって、主日礼拝を守ることができ神の摂理に生かされていることに信仰の確かさを覚えます。

思えば幼児期病弱で過ごし、家族、親族の支えに守られて今日を迎えることができて居ります。なにしろ小生が初孫で親族からも大事にされましたが、生まれてすぐに肋膜炎にかかり、合わせて現在でいう皮膚炎(アトピー)で包帯を常に身につけていたとのことでした。

学童期を迎えた頃、病弱であった小生の将来を考えて私学一貫校を選んで入学できました。但し、本人は余り病弱とは感じておらず近所の悪童共に遊びに夢中で自然と元気をつけていま した。ところで普段余り親子の会話もなく、気がつくとなんと忙しい仕事に携わっている父親としか思っていませんでしたが、父は若い頃から努力家で仕事その他語学(英語)、運動〈野球、スケート、社交ダンス〉又、麻雀、パチンコと全てに於いて一流と思えました。小生は全てに於いて父親の後姿を見ていたようです。しかし、どれ一つとして父を越える力量はなく、その父も70歳で亡くなりました。

いまペンを取って気がつきました。小生の念願であった父を越えることが現在叶っていたのです。それは小生が父母より長生き出来ていることです。これまで何事に於いても叱ることのない父であっただけに小生にとっては最も怖い存在でした。しかし父母を想い、その先に主イエス・キリストを見出すことができました。それだけに、他人に迷惑をかけず自分に厳しくする気力を身につけることができました。平安!


■コラム

信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確信することです。(ヘブル11・1)

目標とはものごとが将来のある時点でどうなることを私たちが望むかという表明することです。また、私たちがこのようにしたい、あるいはこのように行いたいと思っていることの公約であり、予想であります。目標とは望んでいる事柄を確信し、まだ実現していない夢を信じることです。目標は私たちが人生を形造ることにあたって大切な役割を持っています。

私たちは、新年によく「一年の目標」を立てますが、それを一年間守ることは難しいのではないでしょうか。三日坊主に終わるかもしれません。けれども、目標を掲げ、計画し、何かを始めることをしなければ、目標に到着することはできません。目標が私たちの心構えを与えてくれます。けれども、目標を持つことをしない人もいるかも知れません。しかし、その人の目標は常にその人を造ることになります。実際、一度目標が決まると私たちは、目標に向かって進むことに必要なエネルギーを一心に集めることをします。人はだれでも、自分の立てた目標以上の人になることは難しいのです。素晴らしい目標を立て、人生を素晴らしく生きたいものです。あなたの目標が、あなたと言う人をつくるのです。大きな目標を立てるよりも、小さくても目標を一つずつ達成することが自信を生むことができるのです。目標は具体的であればあるほど、「やる気」が出るのです。ですから、ほどほどに難しく、達成可能になるような、目標からはじめましょう。目標は高すぎても、「やる気」を失わせてしまいます。達成可能な目標を設定することによって、私たちは意欲を燃やされ、仕事に人生に大きな満足と喜びを味わうのです。