2022.秋
秋が深まっています。さくら山の斜面はが曼珠沙華模様になりました。今年は栗の実がたくさん実り、働き者の手によって、いろいろな形のおいしいものになりました。そして町じゅうに香っていた金木犀が終わり、今は人びとが山の彩りを待っています。
わたしは、コロナが始まった年の4月に越生に来ました。越生教会では、人数が少なく密にならないので、コロナの中でも礼拝を続けてきました。祈祷会も続けてくることができました。感謝しています。
今度新しく、第3日曜日14時から、礼拝を始めました。初めて教会に来られた方でも、わかるように心がけたいと思っています。
最近、統一教会の問題から、宗教への警戒感が増したと言われています。この町の小さな教会にも、なにかちょっと危ない感じを持つ方もおられるのでしょうか?ご家族から質問を受けたという話も聞いています。
でも今おられる教会の信徒の方々は、それぞれの人生の中で神と出会い、ここに導かれ、長い人生を誠実に信仰生活を送られて年を重ねてこられました。ご家族も、そこに危うさは感じられないと思います。またその姿に、わたしはいつも教えられ、励まされています。だから私の出来ることは、今まで通り、教会の扉を開けて、喜んで神様のことを賛美し、神様の十字架と復活を通して示された愛と恵みを語り、この町のことを祈って過ごしていくことと思っています。
また、ここに説教と旅行記を載せます。
お時間のある方はお読みください。
説教
フィリピの信徒への手紙1章27~30節 2020.5.17(日)
佐藤彰子伝道師
「信仰のたたかい」
パウロはフィリピの教会の人々に一つのことを勧めています。
「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。」フィリピ1:27
キリストの福音にふさわしい生活とはどういう生活でしょう。
この時フィリピの教会の人たちは戦いの中にありました。
「あなたがたは、わたし(パウロ)の戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。」(1:30)
伝道の戦いです。フィリピの伝道については、使徒言行録16章の11節から詳しく書いてありますが、パウロは同行していたシラスと、ある女奴隷の占いの霊を追い出したことから、その雇い主たちに恨まれて捕まり、鞭で打たれ、投獄されます。しかし牢獄で大地震が起こり、看守と家族が洗礼を受けることになるという驚くべき恵みが与えられます。
今、この手紙を書いているパウロはまた投獄されており、場所としては、エフェソかローマであるようだと説は分かれていますが、パウロは牢獄でイエス様の福音を伝え、フィリピ1章12節にあるように、捕らえられているのに、福音は前進しています。
戦いの同士にエールと送っています。いつ死刑になってもおかしくない状況にいるパウロが、こう勧めています。
ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。
「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活」を送れば、どんなことがあっても反対者たちに脅されてたじろぐことはない。しかしそれは、平たんな道ではなく、苦しみがある。その苦しみは恵みだというのです。「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」29節
「恵みとして与えられている」という言葉は、「神様の受け身」といわれている形です。一回限り神様がそれを与えたと言う形で書いてあります。
つまりこれはイエス様の十字架の救いのことです。イエス様の十字架と復活を、神様はわたしたちに恵みとして与えて下さった。そこに神様は、わたしたちに対するすべての愛をこめられました。イエス様の十字架には、信じることとともに苦しむことが恵みとして与えられている。そして28節にあるように、イエス様の十字架は、信じる者には救いのしるし、信じない者には滅びのしるしです。
ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。
この生活というのは、共同生活という意味の言葉です。つまり自分一人ではなく、人と関って生きていくということです。人とどう関っていくかということは、神様から教えられています。神を愛し人を愛して生きていくようにわたしたちは言われています。
イエス様はわたしたちの罪のために十字架にかかられました。それを信じて罪を悔いたものは誰でも救われます。この世のすべての人を救うために、主はこの世に来られました。しかしわたしたちは、救われてもなお神を信頼しきることができません。
「神様は自分を愛してくださっている」、と言いながら、どこか疑ってしまう。それこそがわたしたちの罪の姿です。神様はわたしたちを愛しておられる、決して見捨てない、といくら聞いても、わたしたちは神を信頼しきれない。わたしたちの信仰生活は疑いと迷いとの、まさに戦いの中にあります。
戦いの中にあれば、まだいいのかもしれません。わたしたちの生活は、平坦な日々では神を呼ばずに過ごしてしまいます。ときには神がいることすら忘れるほど、わたしたちは恩知らずな生き物です。でも私たちは困ると神様を呼び始めます。本当ににっちもさっちも行かないとき、わたしたちはお手上げとなって神を呼びます。
最後に頼るべきところを知っていることは大きな恵みです。
わたしたちが呼ぶと神様はどうされるでしょうか。神は必ずわたしたちを神のもとへと引き寄せてくださいます。そのたびに、わたしたちは御心に触れ、自分の罪を新たに悔いる、わたしたちの信仰生活というのは、この繰り返しなのではないでしょうか。しかしその繰り返しの中で、少しづつ、神への信頼がふえていく。本当に申し訳ないことですが、本当は最初から全く信頼すべきお方なのに、わたしたちはそのような道を通らないと、神様との関係が築けません。ほんとうに人間という者はどうしようもないものです。それなのに、神様はそんな人間を、御子を十字架にかけるほどに愛してくださったのです。そして決してお見捨てにならない。もうわたしたちの罪は赦された。あとは神の愛を信じて、イエス様の後に従って歩きなさいと言われます。何度も何度もわたしたちは、そう言われながら、この世を歩き続けます。
27節に、一つの霊によってしっかり立ち とあります。一つの霊、神様からいただいた聖霊です。この聖霊は、わたしたちにイエス様の十字架と復活の意味を、救いの意味を教え続け、神との間に立ってとりなして続けておられます。だからこの聖霊によってわたしたちはしっかり立つことができます。
こころをあわせて福音の信仰のためにともにたたかっている
自分の信仰のためにたたかうのではないのです。福音の信仰のために、イエス様がわたしたちに教えて下さった神様からの良い知らせがこの世に伝わるために、わたしたちは共にたたかう。一人で信じていると、わたしたちの信仰は変質しやすいものです。わたしたちの信仰は、「共に」信ずる信仰です。一人一人の、「わたし」の信仰なのですが、「わたしたち」の信仰です。「共に手を取りて進む」信仰なのです。そのためにわたしたちには教会が与えられ、共に祈りあう友が与えられています。
こう考えてくると、ひたすらにキリストの福音にふさわしい生活を送る、というのは、自分が神の愛にふさわしくないことを心から認識して、主よ、主よ、と主を求めて生きることではないでしょうか。
イエス様を知らないと、わたしたちは自分の罪がわかりません。ですから、救われて初めて、自分の罪がわかってきます。そういう意味では、信じたがゆえに、苦しみが始まります。しかしそこには赦されたという大きな喜びが必ず伴っています。
今まで何度もこのフィリピの信徒への手紙に出てきた「喜び」も、「苦しみをこえた喜び」という言葉です。わたしたちには、苦しみも恵みとして与えられているのです。
あなたがたは一つの霊によってしっかりと立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても反対者たちに脅かされてたじろぐことはない。
わたしたちの中心におられるのは、わたしたちのために十字架にかかられ復活されたイエス・キリストです。だから脅かされても、たじろぐことはありません。
そしてどんなものもこのキリストからわたしたちを引き離すものはないのです。
高いところにいるものも、低いところにいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(ローマの信徒への手紙8章39節)
祈ります。
天の父なる神様 あなたはわたしたちにキリストのために苦しむことをお与えになりました。それはイエス様とともに働くことであり、イエス様の愛の中に生かしていただくことです。どうかわたしたちを信じない者でなく、信じる者にしてください。
コロナで苦しむ人々、心と体が弱っている人びと、愛する人を亡くした人びと、愛する人に会えない人びと、今苦しむ人を救うためにいろいろなところで奮闘している人たちに、どうかあなたが共にあって、力づけ、癒し、平安を与えて下さいますように。
また、さまざまな困難の中で苦しむ一人一人が、あなたが生きて働いておられ、あなたがすべての人を愛されていることを知ることができますように。
この祈りをイエス様のお名前によって御前に捧げます。アーメン。
トルコの旅 エフェソ (3) 浅野美枝子
中央通りをさらに下るとおおきな正門があり、そこから山の斜面まで左右に城壁が広がっている。城壁は幅もあり、かなり高い。この高さは、パウロをロープで下ろして逃げさせた壁の高さかと思った。 外に出ると、王家の墓が無造作に置かれた状態である。たくさんの石棺の中身はすべて略奪されてしまい空っぽだ。蓋が開きかけているものや崩れてしまったものもある。それでも、日本で見たことのある石棺よりも美しい。墓の奥のほうは茂みになっている。昔はその先に港があったと言う。
港が消えれば、人々の往来が減る。エフェソの遺跡が今まで存続できたのは、三方を山に囲まれた小高い丘だったからであろう。 ギリシャの空の色と違って、エフェソの真っ青な空に、大理石の柱の白さが光を映して美しく輝いていた。
さまざまな思いを胸にバスに戻る途中、トルコ人が「まける・まける・千円・千円」と土産品を両手に下げて近寄ってくるのが見えた。思わず足を止めてしまった私に、お菓子の箱と、青いガラス玉の飾りを持った二人が近寄ってきた。せっかくの客を逃がすまいと、どんどんおまけしてくれるのでつい買ってしまった。三個から始まったガラス玉飾りは、最後には七個にサービスしてくれた。日本の貨幣がそのまま使えたのには驚いた。ただし千円札のみで、おつりは出ない。
大理石の街、エフェソスに別れを告げ、バスは次の場所へ進む。トルコでは、ガイドになるには国家試験があるとのこと。私たちのガイドは、流暢な英語と日本語が話せる男性だった。そんなガイドがバスの中で、トルコは「日本を友好的な関係」の国と思っている話をしてくれた。
それは、ずっと昔のこと。日本海沖で沈没したトルコ船を、日本の漁民や村中の人たちが夜を徹して、多くのトルコ人を救出してくれたことに感謝していると語った。「その後、日露戦争があり、あの小さな国が大国ロシアに勝ったと、トルコの人たちはみんな喜んだのです。それは、大帝国だったトルコが昔、ロシアに負けた事があったからです」と。民族の威信に関わることなのだなあと聞いていた。
バスは羊の皮の店の前で止まった。パウロは、革なめしのアキラとプリスキラたちと親しかったが、皮なめしの工場はかなり腐いと聞く。私たちは工場ではなく、皮製品が並ぶきれいなお店へ案内された。軽くて柔らかな羊の皮の洋服が並ぶ。肌ざわりの良いジャンバーを勧められたが、一着十万円もするので、さすがに手が出なかった。もとより手入れの難しい皮製品は、あまり好きではなかったので。あの青色のガラス玉の飾りだけが、エフェソのお土産となった。
遥かなる古都 エフェソスの 秋惜しむ