近況報告

2023年1月

2023年が始まりました。またこのページを訪ねて下さってありがとうございます。

「私を求めよ、そして生きよ」 アモスという預言者が、神から告げられた言葉です。

2023年はどういう年になるのでしょうか。今わたしたちは、どんどん生きづらくなっているように思うのです。日々の天気の中に、今までとは変わってしまった環境を感じます。あの原子力発電所の爆発の時以来、放射能はで続け、汚染水は増え続けています。もう影響は防げないんだろうな、とおぼろげに覚悟してしまいます。そして大きな戦争が始まり、どうやって終わるか見えません。国々は本気で武装を加速化しています。武器を造る産業は勢いを増しています。日本も、武器は造らない、売らない、といっていたのに、あっという間に

造って、売って、もっとたくさん売りましょう、と大きな声で言える国になってしまいました。

体が病んでも、病院はいっぱいで、救急車はたらいまわしにされます。病気になって入院すると、家族に会えなくなる。とても気を付けている人やところで、コロナが発症し、ひとびとを落胆させ、どうしたらいいかわからない気持ちにさせます。

人びとが危険を察知する力と言うのは、その感度がいい人と、悪い人がいるようで、少数のとても感度がいい人がおり、少数のとても感度が悪い人がおり、少数者と少数者の間は楕円状になっているように聞いたことがあります。

このアモスというのは預言者ですから、感度のとてもいいグループにいたと思います。かれは彼の隣の国の王が殺され、国がこのままでは滅んでしまうことを、その隣の国の祭りのさなかに預言します。それは誰にも受け入れられず、強制退去させられます。でも彼の言葉と、彼の預言の実現を今わたしたちが読んでいます。

国のリーダーが殺されるという預言は、わたしたちは実際に経験したばかりなので、ひとごととは思えない現実感があります。

 

先ほど言った危険察知能力で言えば、楕円の半分くらいの人たちが、もう「危険が迫っている」と感じているのではないかと思うのです。たくさんの人が、もう危ない、人間はいつまでこのまま生きていけるんだろうか、と感じているのではないでしょうか。

アモスがそのような預言の中に言ったのが、「私を求めよ、そして生きよ」です。

アモスは悲劇を預言し、希望を語りました。神は、神を求めて生きよ、と言われている。この言葉は、イエス・キリストを指しています。

また、説教と旅行記を載せます。

 

説教

フィリピの信徒への手紙2章1~11節

佐藤彰子伝道師

 

「イエス様の従順」

あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、霊による交わり、それに慈しみや憐みの心があるなら

  今日、パウロがフィリピの教会の人たちによびかけている、この言葉は、わたしたちにとって、よく「わかる」言葉ではないでしょうか。

わたしたちは、イエス様を信じ始めた者として、自分が聖くなった、しっかり信じた、とはとても思えない。でも幾らかでも「キリストによる励まし」があり、「愛の慰め」があり、「霊による交わり」があり、ときどき、「慈しみ」「憐み」の心が神様によって起こしていただくことがある。つまり、ここでいわれていることは、いまのわたしたちそのものです。

「生きるにも死ぬにもキリスト」と言う強い信仰を持ち、驚くべき行動力で世界に教会をたててきたパウロも、実はわたしたちの気持ちがわかっています。主に遣わされては、まだイエス様を知らない人々にイエス様を語ってきました。そして人々が信じていく様子を、驚きをもって見続けてきたパウロです。自分自身も含めて、人は復活の主と出会って救われていく。しかし、それでみんな幸せにこの世の生活を送りました、というそんな簡単な話ではないということも経験しています。パウロの手紙を読むと、パウロを一番悩ませたのは、教会の不一致だったと思われます。

  救われた者が教会の中に入れていただきます。そして霊の乳をいただいて育っていきます。しかし教会はさまざまな人が、いえ、どんな人でも招かれています。そのためにイエス様が十字架にかかられたからです。「すべての人を救うために」。

同じ趣味の仲間と違います。一緒になにか楽しいことをしに集まっているわけではありません。でも一生、一週間に一度、もしくはそれ以上顔を合わせるという、特別の交わりです。そしてそれは「霊の交わり」です。

教会にとって、いつもさらされる「苦しみ」が、「不一致」という苦しみです。今日のパウロの言葉で、フィリピの教会にも、それがあったことがわかります。そしてそんなフィリピの教会の人々に向けてパウロは言います。

 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。

  一致できない人々に、一致をお願いしている。

 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。

ここに挙げられたことの一つ一つが一致を阻んでいると言っています。利己心、虚栄心、へりくだりの反対の傲慢、そして自分を人より優れたものと考えてしまう。そして自分のことだけを考えてしまう。これこそがわたしたちが同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにできない原因なのです。

  しかしわたしたち人間にとって、自分以外の人と一緒にいるということは、なんと難しいことでしょう。わたしたちは親しい間柄、また近しい関係であるほど、距離が縮まるほど、同じ思いになれない、思いを一つにできない。人間は、本当に近い存在に、愛よりも憎しみがわいてしまうことが多い。悲しい罪の現実がそこにははっきりと存在します。

このコロナの分断で、わたしたちは人間の関係性というものを考えさせられたのではないでしょうか。関らない自由、孤独、関ることで傷つく。関らないことで傷つく。この間、直接会わなくてもつながる、さまざまな方法が考案されました。しかしそこでの関りでも心の問題は同じように付いて来るでしょう。

教会での人間関係は、一節でみたように、幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、霊による交わりそして慈しみ、憐みの心がある関係です。それなのに思いが一つになれない。それどころか、信じている熱心さが分裂を生んでいきます。

でもここでパウロはお互いに我慢しなさい、と言ってはいない。

 

イエス様の12弟子のことを考えてみたいと思います。イエス様は本当にさまざまな人を集められました。熱心党のシモンと言う人は民族運動の闘士のような人でした。かたや、マタイは取税人で、シモンが憎むローマのために働いていた人でした。漁師出身の素朴で学問のない者もいれば、ギリシャ語や他国の言語に堪能な、理知的なもの、お金の勘定にたけたものもいた。普通なら一緒には行動できないような人々が、ただイエス様に召されたゆえに一つになりました。これこそ教会の原型です。

そしてここでパウロがいうのは、イエス様が指導力を発揮して弟子を一つにしていたわけではないということです。教会の一致は、「イエス様のへりくだり」からだと言っています。

5節の互いにこのことに心がけなさい。それはキリスト・イエスにも見られることです。

それ」とは6節から8節までで詳しく語っている、イエス様の従順のことです。このことがわたしたちを一つの思いにするただ一つのことです。

 

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

 ここは本当に心鎮めて、聖霊に照らしていただいて、この御言葉を向かい合っていきたいと思います。キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとされませんでした。それは馬小屋でお生まれになったときから、悪魔の誘惑をお受けになった時も、そしてみんなが王にしようとした時も、奇跡をおこなった時も、イエス様は常に、御自分を上にされませんでした。かがんで弟子たちの足を一人一人洗いました。「仕えられるためではなく、仕えるために」(マタイ20:28)来られたのです。そしてわたしたちにもそのようになりなさい、と言われました。

 

自分を無にして、イエス様は、「自分の命を死に至るまで注ぎだしました」(イザヤ53:12)、まっすぐに、人間の罪の贖いとしての十字架に向かって生きられました。それはそれが愛する父の御心だと、だれよりも御子はわかっておられ、それが愛する価値もないのに、イエス様が心から愛してくださったわたしたち人間を救うための唯一の道だと知っておられたのです。天の父のみこころである十字架の死、ご自分が十字架の死をお受けになる道をひたすら従順に歩かれました。十字架の死に至るまで。

このイエス様の従順に触れる時、わたしたちはイエス様がこの自分を愛してくださっていること、天の父がこの自分を愛しておられることを知るのです。聖霊が働き、わたしたちの罪で曇った目をぬぐい、心をひらいてくださって、このイエス様の十字架に至るまでの従順が、わたしたちを罪から救ってくださったことを知るのです。

 

イエス様は「神のもとから来られ」「アブラハムが生まれる前からわたしはある」(ヨハネ8章)と証言されました。真の神の子です。しかしそう言われたときでさえ、「わたしが自分自身のために栄光を求めようとしているのであれば、私の栄光はむなしい。」と、どこまでも低くおられました。

イエス様は、神の子であるという一切の権威と栄光を、無にされて、十字架にかかられた。

まさにわたしたちのために、その命を注ぎだしてくださいました。そのイエスを神は復活させられました。

 

そして口でイエスは主であると告白し、心で、神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる、とわたしたちに約束してくださいました。

このようにして救われたわたしたちは、ただイエス様にひざまずきます。神はそのイエス様を高く挙げられました。もろもろの天よりも高く、ご自分の右に挙げられました。

 

わたしが地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」(ヨハネ⒓:32)このようにイエス様が言われたように、神はどこまでも低く生きられたイエス様を高く挙げられ、罪にしばられていたすべての人間を解放されたのです。この勝利によって、わたしたちはイエス様のお名前によって祈ることが可能となり、礼拝しています。高く挙げられたイエス様のもとに引き寄せていただいています。

 

わたしたちは本当にイエス様の前にひざまずき、主を、私の主とお呼びします。その姿で、わたしたちは一つとなる、私たちの主と一緒にお呼びする。教会はそのように一つである。そのようでしか一つでない。

 

わたしたちには、イエス様を頭とし、その体である教会が与えらました。救われて、証人としてこの世で生き通すために、恵みとして霊的な家が与えられています。

そしてわたしたち一人一人が「生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。」(1ぺトロ2:5)と勧められています。越生の山間にも見られるあの美しい石組みを思い出します。いろんな石を、神様が組み合わせて、教会と言う一つの家をたてて下さいます。どの石にもその石のはまるところがちゃんと用意されています。

 

わたしたちは、イエス様の前にひざまずき、救われた喜びをもって立ち上がります。ここからこの世の一週間を始めます。どうかこの一週間も救われた喜びに支えられて過ごすことができますように。弱っている仲間のことを祈り、痛みに苦しみ、悲しみの中にいる、思いだす限り、心が届く限りの人のために祈りながら、示されたことに励みながら、今週を生きて生きましょう。

 

トルコの旅 エフェソ(4)            浅野美枝子

 

さまざまな思いを胸にバスに戻る途中、トルコ人が「まける・まける・千円・千円」と土産品を両手に下げて近寄ってくるのが見えた。思わず足を止めてしまった私に、お菓子の箱と、青いガラス玉の飾りを持った二人が近寄ってきた。せっかくの客を逃がすまいと、どんどんおまけしてくれるのでつい買ってしまった。三個から始まったガラス玉飾りは、最後には七個にサービスしてくれた。日本の貨幣がそのまま使えたのには驚いた。ただし千円札のみで、おつりは出ない。

 

大理石の街、エフェソスに別れを告げ、バスは次の場所へ進む。トルコでは、ガイドになるには国家試験があるとのこと。私たちのガイドは、流暢な英語と日本語が話せる男性だった。そんなガイドがバスの中で、トルコは「日本を友好的な関係」の国と思っている話をしてくれた。

それは、ずっと昔のこと。日本海沖で沈没したトルコ船を、日本の漁民や村中の人たちが夜を徹して、多くのトルコ人を救出してくれたことに感謝していると語った。その後、日露戦争があり、あの小さな国が大国ロシアに勝ったと、トルコの人たちはみんな喜んだのです。それは、大帝国だったトルコが昔、ロシアに負けた事があったからですと。民族の威信に関わることなのだなあと聞いていた。

バスは羊の皮の店の前で止まった。パウロは、革なめしのアキラとプリスキラたちと親しかったが、皮なめしの工場はかなり腐いと聞く。私たちは工場ではなく、皮製品が並ぶきれいなお店へ案内された。軽くて柔らかな羊の皮の洋服が並ぶ。肌ざわりの良いジャンバーを勧められたが、一着十万円もするので、さすがに手が出なかった。もとより手入れの難しい皮製品は、あまり好きではなかったので。あの青色のガラス玉の飾りだけが、エフェソのお土産となった。

 

エフェソを後にして、エーゲ海を北上し、イスタンブールへ向かった。ボスポラス海峡を挟んで、ヨーロッパとアジアにまたがる大都市である。英国の小説家、アグサ・クリスティの映画化された「オリエント急行の殺人事件」がある。終着駅になるイスタンブールには、映画と同じ列車が停められたままになっていたと思う。オリエントとは、ラテン語で「日の出の地」という意味らしい。その日のランチは、映画に登場した由緒あるレストランで頂いた。古い家具や古時計、オルガン・食器などに囲まれた不思議な空間だった。

午前中に、ドーム型のブルーモスクへ案内された。入口では服装のチェックがある。ショールを被り、肌を隠すように言われ、靴を脱いで中に入る。壁に、青と白のタイルが多く使われた模様が美しい。天井は高く、中央は祈りの場なので近づくことは禁止された。カメラ撮影もダメ。男性と女性の格差があり祈る場所は別々。この国では、ポプラの木が喜ばれているそうで、外の手洗い場の近くには古くて太い樹に瘤ができ枝を広げている。

続いて、オスマン帝国時代の宝物館へ移動した。入口から、大きなレバノン杉だったと思うが、何本もたっている。これは旧約聖書によく出てくる建築資材の木。日本の杉の大木に似ているが、皮の色は黒っぽくて、質感はざらざらしていない。

宝物殿は多勢の人が列をつくって並んでいるため、一番と二番を諦めて三番目の建物に入った。たくさんの宝物の中に「モーゼの杖」が温度と湿度に保たれたショーケースに飾られてあった。あまりにも長いので、杖というより崇拝の象徴的なものに見える。それとも、モーゼはこんなにも背が高い人なのかな。五千年前のものが保存できるのだろうか気になるが、かなり保存が良いためか千年がまるで百年のように感じる。 宮殿の広場には、一本だけ樹齢千年の古木が皮だけになっていながらも、葉がでて一輪花をつけていた。日本にも縄文杉があり、推定樹齢三千年と言われている。

イスタンブールにある「ガラタ橋」の右と左側では治安は全然違う。私は安全な旧市街の観光地だけを見たが、野良犬と野良猫が道路をウロウロしている。猫はまだよいが、犬は喧嘩をしているのか、道の真ん中を吠えながら追いかけて行くので噛まれたらどうしょうかと怖かった。観光客に、大きなザクロを籠に入れて売っている男の人がいた。

オリエント 籠いっぱいの 石榴売り

深紅の トルコじゅうたん 際立てり

私がイスタンブールにいたのは、10月22日~23日なので帰国してからニュースを見て知った、後藤健二さんの拉致と二日違いの頃か、同じ日にトルコに入ったらしい。彼はエフェソよりずっと南下して、シリアへ入ってしまった。陸続きの国々は自由に行き来できるように思うが、安全な保障はない。私は、あれから中東の地図を広げては、名前と場所を覚えることが多くなった。

エキゾチックな都市・イスタンブールには、機会があったら又行ってみたいと思う。日本は急速に近代化してしまったが、ヨーロッパと中東には歴史ある建物がそのまま残っている。アジアとヨーロッパの文化が合流するところがトルコだった。

今は、コロナウイルスの速やかな収束を祈るばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐藤 彰子